この記事は2022年12月に行われた
「青Yりんごの作詞家リアルボイス」第一回目
青 Y りんごのサクサク咲詞。
―孤独のFIGHTER 自分ぼっちにエナジーを!―
第1回 「成功と挫折から学ぶ教訓とノウハウ」
の詳細レポートです。
当日の熱い雰囲気が伝わると良いなって思って作成しました。
当日参加できなかった方もぜひチェックしてみてください。
トミー染川
- 1. オープニングトーク
- 2. トミーさん、茨の道…確かにそうだったかも?
- 3. 私が作詞家になりたいと思ったきっかけは?
- 4. ところで作詞の勉強を始めた時ってどんな感じでした?
- 5. 自分の部屋に有線放送を…、
- 6. 凄く面白かったのは作詞以外の業界人の方の話が聞けた事
- 7. 歌のネタって何処から探せばよいの
- 8. 目標を数字化する事に、そして事務所に猛アピールしました
- 9. コンペって実は椅子取りゲーム
- 10. 少し時間が空いたけど公募ガイドに投稿していました
- 11. コンペの勝率とか数字化して自分を追い込みました
- 12. 何となく書いたものは聞き手にも何となくしか伝わらない
- 13. りんご流の情報収集の考え方
- 14. 共感って私は身近なところにあるって思っていて
- 15. 言葉を削る作業ってパズルだと思う
- 16. りんご流世渡り術「個性とわがまま」は違うって事かな
- 17. 作品直しの危険性、詞が壊れてしまう可能性が
- 18. 普段から代替え案を考える事は大切
- 19. 何となく書いた所は必ず指摘される
- 20. 作品作りの時間配分ってどうしているの
- 21. 自分の書いた作品への責任を持とう
- 22. エンディング
オープニングトーク
画面に「作詞家リアルボイス」まもなくスタートの文字が表示され、
その後まもなくスタートの文字がゆっくりと消えていく。
澤地さんのユニット「仕方のない人」(Toca Toca Blend feat. Aya)が流れる中、
いよいよ青Yりんごさんの第一回目の作詞家リアルボイスがスタートしました。

「皆さんこんにちは」
「いよいよ始まりました作詞家リアルボイス、作詞家、『青Yりんごのサクサク咲詞』第一回目のスタートです。さっそく今日のメインコメンテーターを紹介しましょう!作詞家青Yりんごさんです」

「皆さんこんにちは!青りんごです。今日は一緒に楽しみましょう」

「青Yりんごさん いよいよ始まりましたね、えー????」
「というか、名前【あおりんご】さんなのですか?」

「そうです。青Yと書いて「Y」は発音しないで【あおりんご】なんです」

「そうですか、今の今まで知らなかった…笑い」

「爆笑」

「そうそう、名前の呼び方ですがりんごさんで良いですか?」

「もちろん、じゃ私もトミーさんで…」

「了解です。よろしくお願いしますね」
トミーさん、茨の道…確かにそうだったかも?

「このリアルボイス澤地隆さんでスタートして3回目ですが、いよいよ青 Y りんごさんの作詞家リアルボイスがスタートしました」
「実は青 Y りんごさんは愛知県、名古屋市出身なのですよね」
「そこから作詞家を目指して大勉強、作詞家になるまでは茨の道だったとか、その辺の話も今回受講されている方に一番近い存在だと思うのですよ、まずはその辺からの赤裸々なお話楽しみにしています」

「もちろんです」

「それと HP で紹介させてもらっているのですが素敵なメッセージですね、まさに生き証人かもしれませんね?」

「トミーさん、茨の道、確かにそうだったかも?」
「実はこのリアルボイスの話をトミーさんからもらった時…私に出来るのかな?と思ったのは実際の所です」
「でもこんな私でも HP のメッセージのように私の話が皆さんの活動のヒントになれば…とそう思ったんです」

「でも作詞家さん本人から作詞家への道、エピソードを聞ける機会って少ないですよね」
「皆さん今日はレアな話を聞けるかもしれませんよ、では早速初めて行きましょう」
「まずはりんごさん、作詞家を目指したきっかけなんかそんな話を聞きたいです」

「了解しました、実は…」
私が作詞家になりたいと思ったきっかけは?

「私、実は性格は内気で人見知りで心はおしゃべりなのに、自分の気持ちをちゃんと吐き出したいという憧れがあり、中学生のころ 当時の流行っていた オフコースや松山千春さんの歌を真似て恋愛詩をノートに描いていました」

「そうだったんだ」

「学生の時は運動系の部活に所属、それでいて趣味でエレクトーンを弾いていて、高校卒業の時に音楽ができる学校へ進みたかったのですが 当時地元から気軽に通えそうな学校がなく、県外を希望したところ親の反対にあい断念してしまいました」

「そうですか?そしてどうしたの?」

「社会人になる」 笑い
「でも社会人になって 7 年目、当時お世話になっていた方が作詞の学校へ通っていたことを知り 気持ちが再燃したんです」
「自力で通うなら親も文句は言わないだろうと学校へ通うことを決意。10 か月の通信教育を経てビクター音楽カレッジの大阪校へ名古屋から毎週通学すること 2 年半だったかな、、」

「その時ってまだネットが無かった時代ですよね」

「そうそう、あの当時はアナログ環境しかなく当然名古屋には通える学校もないし、あとでお話ししますが大阪にいったり東京に行ったり通学していました、、名古屋から」

「そうだよね、当時はネットもなかったからこういう事(オンラインでやり取り)もできなかったですものね」

「そう、だから今回お話しをいただいた時にこんな私でもお話しできるのかな?と思っていたけど」
「長いか短いかは分からないけど、アナログの時代に作詞家を目指した私がまだこんな感じでやっているのだからみんなにヒントになる話が出来るのかな?と思って勇気を出して今回参加させてもらいました」

「リアルボイスの HP にりんごさんのメッセージ乗せさせてもらったじゃないですか」
「あれって結構好きでね、生き証人って書いてありましたよね、今日はその生き証人の話をじっくりと聞かせてもらって今までに培ったものとか経験とか、面白い話なんか沢山聞ければよいと思っています」
「よろしくお願いします」

「はい、生き証人です、笑い」
「よろしくお願いします」
ところで作詞の勉強を始めた時ってどんな感じでした?

「そうそう、僕ももちろん世代が違うけどあの時代のやり取りはすべて電話か手紙だった、そういう時代だから情報なんて入ってこない、、でもそれが普通だったんだけど、、、」
「当時、僕は北海道の旭川ってところでブラスバンドでトロンボーンを吹いていて、一緒にやっていた友人、相方が演奏家になる為に音大に行くって言いだしたんです」
「そして札幌の先生の所に通ったりしているのを見て、おれは演奏家になるのは無理だと思い、だったら裏方か…ブラバンで色んな音楽を経験しているから、クラシックのレコーディングエンジニアになりたいと思い始めたんですよ」
「それで専門学校に入るという事で19歳で東京出て来ました」
「あの当時すごいですよ、飛行機なんて高価で乗れなかったから旭川から東京上野までは旭川~札幌~函館、函館からは青函連絡船で青森に、そこから上野まで、合計 24 時間くらいかかった」

「えー移動するだけで…すごいですね」

「そうそう、、話を戻しましょう。ところでりんごさんは作詞の勉強を始めた時ってどんな感じにやっていたの?

「そうですね、まずあの当時は作詞を勉強する学校もなかったんです」
「じゃなんで作詞家になろうと思ったのかというと、私の性格が災いしたって事がすごくあるのかも、、」
「今はこうやって話出来ているけど実際は性格が内気で人見知り、全然人と喋れなかった」
「誰かと話していてもあの時こう言っておけばよかったとか、あの言い方まずかったな、とかすごくあって、本当の自分の気持ちをどこかで掃き出したいとすごく思っていたんです」
「あの当時はオフコースとか松山千春が流行っていたのですけど、そういう人たちの音楽を聞きながら歌詞をマネして恋愛詞みたいなものをずっと書いていました」

「なるほどね、ノートかなんかに?」

「そうそう、ノートも作っていた、でも今考えると恥ずかしいけど中学生の頃、それこそ恋愛も知らないのに恋愛詞を書いていました。こんな風で良いのかな…と思ってずっと書き続けていた」
「学生の時って性格の事もあり、ノートにも書き留めていたりしていました」
「でも運動系の部活もやっていたという事もあり、また趣味でエレクトーンとかを弾いていたりして、進学を考える時に音楽が出来る学校に進みたかったけど、漠然と音楽って事だったけど、そこでもまだ作詞をしようとは思ってなかったかな?」
「あの当時、音楽が出来る学校って地元名古屋にはなく “親に県外に行きたい” って行った所、速攻反対されまして、そういわれたらしょうがないですよね」

「僕は専門学校だったのですが 19 歳から一人暮らしをしていました」

「羨ましい…私はそれが出来なかった。あの時お金が無い…って親から止められたのですが実際の所は成人もしていない娘を一人で行かせられない…そんな親心だったのでしょうね」

「それでどうしたの?」

「はい先ほど話させてもらったのですが、社会人になりました」
「両親にそういわれたらね…それから社会人をやっていて7年目くらいだったかな?お世話になっていた取引先の方と仲良しになって、その方と共通する話題が音楽だったんです」
「そうしたらその方が “作詞の学校行っている” と言われて、私はすぐに食いつきましたよ」
「えーそんな学校あるの…って」

「僕の時は入りたかった大学があったけど、丁重にお断りされて、また次の年もお断りされて、それで専門学校だった」

「私もそうですね、その取引先の方が通われていた学校、ビクター音楽カレッジというところで自分のお金で行くのだったらだれも文句はいわないでしょって、でもビクター音楽カレッジって名古屋校がなく大阪校と青山校しかなくてね大阪校を選びました」

「名古屋から大阪だと新幹線で一時間くらい?」

「そうそう、私はその当時一人暮らしをしていたので、とりあえず安く行ける所、という事で大阪校を、通学費、学費、一人暮らしをしている生活費を捻出するのに昼間、会社員して夜はスナックでアルバイトしてましたね」

自分の部屋に有線放送を…、

「なるほどね、そういえばもらった資料の中に有線放送って?」

「そう、その当時の環境って昼間仕事をしている会社は有線放送が流れていて、夜のスナックはお客さんが演歌を歌ってくれて、当時住んでいたワンルームの部屋にも有線放送をひいていました」

「自分の部屋にも…それって作詞の勉強する為にですか?」

「勉強?もちろん、なってます、なってますよ」
「だって有線放送はずっと流行歌がかかっているじゃないですか、自然に頭の中、体の中に入ってきましたね」
「仕事しているのか?音楽を聞いているのか分からないくらい。だから当時の歌は歌詞なしでも今でも歌えます」
「演歌なんてそうです。スナックでカラオケ歌うお客さんが多く、その時に画面に歌詞がでるでしょ、ずっと歌詞を見ていられる…すごくラッキーな環境でした」
「手拍子して歌詞を見て、お酒を飲んで仕事なのか趣味なのかわからない、そんな環境に居ました」

「その時って歌詞を見ているのですよね、その歌詞で好きとか嫌いとか判断?していたの?」

「いやー、音楽が好きというか、その頃って歌詞に特化していなくて曲が好きとか、このアーティストが好きだとか、だったですね」
「私いまだにそうですが歌詞が好きなアーティスト、楽曲が好きなアーティスト、見てくれ容姿が好きなアーティストみたいに、私の中ではどこか敷居があって分かれています」
「その当時は歌詞だけに限らず音楽が好きって感じだったかな?ただ演歌に関しては歌詞が頭に入ってきたから同時に噛みしめていたって事はありますね」

「敷居か、、面白い」

「そんな中で作詞をしたいなって思うようになったのは、自分がすごく落ち込んだ時があって、あるアーティストさんの歌の歌詞に救われたのがきっかけです」
「よくあるじゃないですか、例えば、病気した時に看護師さんが優しかったから私、看護師になろうと思うとか、だから作詞に関してもそれですよ、私」

「なるほどね」

「そうそう、それです、私」
凄く面白かったのは作詞以外の業界人の方の話が聞けた事

「そうやって何の意識もせずに歌詞にふれていて、同時に作詞学校に通っていたんでしょ、その当時どんな勉強をしていたの?」

「学校では三年間のカリキュラムがあって基礎科、研究科、実践ゼミ一年ずつ三年間学ぶのですけど、基礎科って言うのは作詞の入り口、基本的な用語の勉強、A メロは何するの?B メロは?みたいに、今でいうと作詞本みたいな感じかな」
「それで研究科は面白かったのは月に一回課題を提出して、同じ曲に対しての課題なのですけども講師からも評価いただいて、同じ参加している生徒からも評価いただいて…とやり取りが出来た事かな」
「あと凄く面白かったのは作詞以外の業界人の方が来て下さる。例えば小説家の方だとか、作曲家の方だとか、広告代理店の方だとか、色んな分野の人が来てくれました」

「それは月一回の発表会みたいなときに来てくれるの?」

「みなさん、作詞とは違っているけど言葉や表現のスペシャリストだから、どうすれば人の心に引っ掛かるものが書けるとか…違った切り口で色々お話しをしてくれるんです」
「特にコピーライターさんの講義がすごく為になった、後ほど言葉を削るというところでもお話しできると思うのですが勉強になりました」

「コピーライター?」

「それがかなり勉強になりました」
「実践ゼミは先ほどの月一回の課題とプラス、実際のコンペと同じような曲をいただいて、それも先ほどと同様で先生からの評価と仲間からのコメントだったり感想で会ったりとか、そんな感じにディスカッションしていたのが実践ゼミでした」

「週一回?その都度課題?」

「そう課題をいただいて、みんなが共通の曲に対して詞をつけて見せやっこする」

「一週間に一作ごと書いていたという事だね」

「面白かったですよ、だって同じ曲なのにみんな違う視点で書いてくるのだから、そしてすごくありがたかったのは今と違って仲間がいるっていう事と色んな方から意見をいただける、それはすごく良かった」

「まさに作詞家は孤独のファイター。本当にそうですよね」
「僕と一緒に組んでやっていた作曲家はいつも次書けるかどうか?が心配で、彼は何をやったかというと一日一作完パケを作る、デモの完パケを作る、それを一か月、二か月続けた」
「そうするとわかったことは、どんな状況でも書ける、俺って出来る、つまりアイデアが枯渇しないで作る事が出来るんだ…と自信を持てたって言っていました」

「当時の学校の先生も言っていた、絶対に書き続ける事が大事だと」
「そして今は一人、後々お話しできれば…と思うのですが一人の克服の仕方とか話を出来ればうれしいのですが、当時は一人じゃなかった仲間がいたし、その仲間が指摘してくれていました」
「今は多分、あの当時アナログで良かったと思うのは、そこに行けば誰かがいて同じところを目指している人もいるから孤独は感じなかった事かな…」
「おそらくいまの時代って色んな事が便利になっていて、今回のようにネットでつながって話ができる、でもそれが無くなったら一人じゃないですか」
「だれが課題曲をくれるの?それについて質問があった時に質問する相手もいない」
「一人じゃない…という事のメリットとしては客観的に見てもらえる…これってめちゃくちゃ大事なこと、自分の作品をいかに冷静に見つめ直せるのか?そこがミソになってくると思います」

「昔ですけど、僕がいたヤマハの仲間。今でもみんな頑張っていてベテランの作詞家になった人たちも沢山いるけど、中に松井五郎君もいて松井君がまだ作詞家になる前に A4 の便箋みたいなノートを持ち歩いて時間があったら花瓶に向かって詞を書くとか、時間があったらずっと詞を書いていた…」

「それ、めちゃくちゃうなずけますね」

「松井君何やっているの?と聞いたら “詞を書いている…” って言っていて、その時はすごく不思議だったけど今考えると作曲家の仲間の話だったり、りんごさんの話だったり、松井君も当時色んなイマジネーションを…書く。そうやって勉強していた…って今だから思えます」

「詞として完成出来なくてもその時に思った感情を残すだけでも私いいと思う」
「例えば空の色でも毎日空の色って違うじゃないですか?昼間の空は青いと思いがちだけど毎日違う青だからその青の表現の仕方を書いていっても良いかも」
「今日は○○に近い青色だったとか、○○のような青だったとかこれだけでも全然違う、一つの作品として完成していなくてもどっかフレーズとして使う事が出来るから、私はそういう風な意識はしています」
「続けて行くという事にもつながるのかな?」
歌のネタって何処から探せばよいの

「僕ね、パット閃くタイプではないのですが、ある日ロビーにおいてあった花瓶を見て、花だなって思った。遠くから見ていて普通の花だった」
「でも顔を近づけて行ったときに青だと思っていた色に色んな青が混ざっていたり花びらの所も色んな色が重なってピンクの色になっている」
「もっと顔を中に入れてみると色んなものがある、外から見るとただの花だけど近づいていくと葉っぱがあったり茎があったり虫がいたりとか、面白いな…って思った事があった」

「そうですよね、色なんてその時の気分で変わる、本当は青いけど嫌なことがあった時はグレー色に見える、だから歌手が失恋している時に見上げた空って絶対青じゃないはずですよね」
「それがめちゃくちゃうれしい時にはピンクに見えたり、今トミーさんが言ったように丸い花が△に見えたりするかもしれない、そういうところに作詞の面白さがあるって思っているんですよ」

「画家の岡本太郎さんとかピカソさんとかディフォルメしたものを書く人ってきっとそうですよね、そんな見方しているはずですよね」

「そうですよね」

「写実的なところから人の顔がいきなり△に」

「そういう事なのかなって…」
「よく歌のネタって何処から探せばよいのか?という人がいるじゃないですか、例えば、空と花、身近にあるものを出しただけでめちゃくちゃ出できますよね、飽きないですよね、鉛筆一つでも色々出てきます」

「でも作詞スクールに通っていた時は今みたいな事ってわかってなかったよね」

「全然わかんない、笑い、今だからこういえるけどね」
「あの頃何にもわかってなかった、通っていただけで自分も作家になっていたつもりでいて、あの時は仲間がいたから学校が終わった時にみんなでご飯食べに行ったりして、話盛り上がりますよね、同じところ目指しているから、みんな作家になった気分になっていて “車、なに乗る?”みたいな」
「私ジャガー乗ると思っていた、笑い、そうそう買う車まで決めていて作家の気分でいた、恥ずかしいですけどね、今思うと何も書けていなかったのに、、」

「でも学校だから卒業時期って来るでしょ?」

「システムは3年終わって、私の場合は基礎科の部分は通信にさせてもらったので 10 か月通信だった、その後、半年基礎科やってそのあと 2 年研究科と実践ゼミ」
「その実践ゼミが終わると作家事務所さんと学校の校長先生と面接があった」
「これまでに自分が出してきた課題作とかを全部見てもらって面接をして作家事務所に採用になるにならかどうか?変な話、採用にならなかったらそこでおしまい」

「それでどうだったの?」

「ダメだった、今だから笑って云えますけど全然だめで、頭の中真っ白、目の前真っ暗です」
「しかも私、全部他人のせいにしていました」
「あの当時、大阪校に行っていたのがまずかったとか、華やかな芸能の部分は東京ってイメージがあって大阪にいたからダメだったとか、あの時の先生に気に入られていなかったんじゃないかとか自分の作品がダメだったからと思っていなかった、今思うと恥ずかしくてしょうがないですね」
「そして学校生活が亡くなると何もやる事が無い課題曲をもらえる機会もないし、自分の書いた作品をどこにも持っていくところも無い、何もなくなってしまった事でどうしようって思いました」

「それでどうしたの?」

「これはいかんと思って実践ゼミの一年だけ東京校に通う事にしました」

「通う?」

「通いました、実践ゼミは月一回の通学と課題曲は郵送のやり取りの提出だったので」

「月一回、東京に通ったんだ」

「行きました、泊まりで」

目標を数字化する事に、そして事務所に猛アピールしました

「大阪の時は日帰りだったから良かったけど、東京は月一回、まず交通費が倍になったのと最終新幹線には間に合わないので泊まらないとダメ、もう後がない」
「でも今度は心を入れ替えました。遅すぎ?目覚めるのが、あの時にトミーさんと出会えていたらね、笑い」

「ハハハ、でもね、それって早いと思うよ」
「僕なんかすごい話だけどスタジオでミュージシャンとかエンジニアの人とかが音の話をしていて、例えば、音が上がる、下がるとかね。どうやら音が上がるって言うのは悪い音で下がるって言うのは良い音らしいという事が分かったんだけど、、」
「その時はええかっこしいだから ”そうだよね、そうだよね" ってわかったふりをしていた、そこから 20 年たって、ある日やっと理解出来た」
「僕の場合大きなこと、大事な事に気がつくのに 10 年とか 20 年とかかかっているんだから」

「私の場合は新幹線でもこだまだと思う」
「そこで決めた!自分で目標設定をしっかりとした」

「こだまね、各駅停車、笑い」
「目標設定って?」

「あなたは作詞家ではないのだからと言い聞かせて東京の実践ゼミを終わったら絶対に事務所と契約をするって決めました」
「そうするぞって紙に書いて貼っていた。それだけ意思が強くなった」
「大阪時代の“仲良しこよし“はやめ、青山校の時はみんなとご飯とか行かない。ホテルに帰ったら今日の授業の復習をやって、それと複数作品を作る」
「これも大体ではなく数字化した、最低2作作る。そして事務所に持っていくって決めました。とにかく猛アピール」

「でもそのアピールって一回とか二回とかではないでしょ」

「事務所に作品持って行っても、そこの事務所の人とは会えるわけではないですよね、場合によってはポストに投函って事もありました、でも必ず自分の熱意を伝える為にコメントは残すようにしました」

「そうだよね、音楽系事務所って意外と敷居高い」

「でも私のやっていた事って売り込みですよね、ここで大変だったのは課題曲がないから詞先になります」
「曲がついていないって事は相手に雰囲気が分かりにくい、曲先だとそこに合わせた言葉の乗せ方とか伝わるじゃないですか、自分の中ではロックだと思っていても先方は字面だけを見ますよね」
「だからそれをイメージしやすいように想定歌手というのを決めて書いて提出していました」
「それと年代ですね、せっかく良い詞であっても歌う歌手の年代によってイメージが違ってきます」
「例えば恋愛でも年代によって男女の立ち位置とか違うし共感度が違うじゃないですかそれが相手に伝わるように工夫しました」

「作家事務所は意外にそういうところ見てくれるからね」

「それと自分が持ち込む事務所さんはどんなアーティストさんと仕事をしているのか?それも調べました」
「これは絶対に調べないとだめですよ、だって演歌の歌手とかを扱っている事務所さんにポップスを持っていってもダメじゃないですか、だからリサーチってすごく大事な事だと思います」

「でもそれで事務所さんとかの縁が出来て事務所に入る事ができたのでしょ?」

「ある事務所さんと一年間の契約が出来たのですが一年で契約終了になりました。採用されなかったから」
コンペって実は椅子取りゲーム

「結果が出なかったからか、知り合いの作曲家さんである事務所と契約をしたらしいけど、そこも半年で結果が出なかったら契約終了だったらしい」
「でも彼は結果を出し、のちに嵐の時代という曲を作詞、作曲、編曲まで手掛ける作家になった半年、一年って短いですよね」

「私の場合、一年で採用、又はキープにならないと本採用されないという事だったけど私は至らなかった」
「コンペって実は椅子とりゲームなのですよ、参加者全員に同じ発注が行って、その中で採用されるのが一作品だけじゃないですか」

「そうですよね、純粋に頑張っている人たちには悪いけど、採用される事って作品の出来、点数じゃない。だから 100 点満点とっているからこれは良い、採用って言われない。そこが辛い、作家さんからすると分からない所だよね」
「例えば 100 点の詞が 3 つあった場合、このタイトルが良いからこの作品にしようとか、コンサートで歌う時のイメージ沸くね…とか、その作品の点数、作品力で無いところで選ばれている、評価されるって事がイマイチ皆さん分かりづらいですね」

「私も解っていなかった、コンセプトに合っているかどうかとかもね」

「コンペって及第点の作品が沢山集まる」
「例えば、選び手が 3 人いたとしたら多数決とか、売れる為にはプロモーションが必要だからプロモーションしやすい作品だとか CM のタイアップがついていたらそのクライアントさんがこの詞が良いって選んだり、みんないまいちだから作詞家大先生に頼むか…みたいな話になっていたり点数じゃないって事が理解しづらい所だよね」
「でも一つだけ言うと、コンペで採用されなかったとかでも作品が否定されたことではないって事は分かってほしい、でも書いた作家さんは否定されたと思うからね」
「良かったけど違ったとかね、、ここが分かりづらい」

「でもその声を聞けない、私たちはただ不採用と言われるだけですからね」

「または返事が無いか…」

「そうそう」
少し時間が空いたけど公募ガイドに投稿していました

「でも、そこの事務所さんが NG になって路頭に迷ってしまった?」

「迷いました、ちょうどその時に私出産時期に重なって時間が空き、その時期にコンペとかどこかの事務所さんとか…ではなく公募的な物を探したり、全くやめていたとはではなく、低空飛行でちょろちょろやっていました」

「公募ガイドって活用している人、仲間にも何人かいる」

「私もやっていました、いくつか採用された。名古屋市の科学館のテーマソングを書いた時もそれで採用されました。ちっちゃいけれど実績を積んでいきたいという気持ちは変わっていなかったので」

「僕の知り合いで公募ガイドに応募して採用されたら、その授賞式とかある時は必ず行くって言っていました。そこでプロの作曲家さんと知り合いになって一緒に作品創りしたりとか…自分の進み道とか人脈を広げていったりとかしていたみたい」

「私も同じ事をやっていました。みんな同じことをやっているのですね、笑い」
「私、そこでも売り込みしていました」

「その人もそう言っていた、そうしたら縁が広がったと」

「そうそう広がる、縁が」

「今度曲作った時に詞を書いてよ」
「みたいな感じで」

「ありますね、曲作りって作曲家、作詞家、編曲家、関連する人がいるじゃないですか、そうやっているとご縁が広がります。そこで知り合いになった作曲家の人ですが、それがご縁で今でもたまに仕事をいただいたりしています」

「今はコロナとかですが昔はそれがスタジオだった」
「スタジオには歌手、プロデューサー、作曲家、編曲家だったり沢山の人が集るので「作詞の○○です」と挨拶すると「何だ、君か…」みたいに縁が広がるし、スタジオで座っていると色んな勉強にもなるし、詞の変更があったりするとすぐに対応でき、自己アピールにもなるでしょ」

「そうですよね、つながりますね」
コンペの勝率とか数字化して自分を追い込みました

「今のご時世難しいけどね」
「そうそう、今の事務所さんとのつながりもその頃?」

「そうやって活動していて縁があって今の事務所とつながりました」
「時間が空いた分思いなおす事が色々ありました」

「例えば?」

「例えば、コンペ」
「先ほどの話の中にあった一作品しか採用されない…これについても今まではコンペで採用されなかったら「はい次」みたいに次にチェンジしていったのですが、結局はそれじゃダメだと気がつきました」
「復習と分析しなければ、何で落ちたという、先ほどの選び手さんの事情、声ってこっちには聞こえてこないので見えないことが多いけど自分の作品はどこか選び手の想いには届いていなかったのは事実、だからまずコンペ表というのを作りました」

「コンペ表?」

「分析する為にですが、例えば今回のコンペの歌手や内容などや作曲家は誰?つけたタイトルは?あと勝敗ですね、このコンペには勝ったか?負けたか?大半は負けたのですが、それを表にしていきました」
「それを重ねていくと何回コンペにチャレンジして何回勝ったか?採用率みたいなのが出るじゃないですか、それを数字化して、とにかく数字で自分を追い込まないとダメだと思ったから、あとモチベーション上げるにはめちゃくちゃ良い方だと思います」

「なるほどね」

「今回ダメだった次回頑張る、だと何がダメだったか分からないから何回出してもダメだと思いました」
「ちゃんと分析して直して行かないとダメですね」

「直しって、出し終わってからすぐ見直すの?」

「出し終わってからだとまだ酔っているので、出し切ったとその余韻に浸っているからダメ、一番良いのはそのコンペの作品がリリースされますよね、そのリリースされた作品と自分の作品を比べて分析してみるのがベストだと思います」

「提出後に見直す事が出来るのは詞の完成度としては見直すことが出来るけど、一番知りたかったのはクライアントの要望って何だったのだろう?そこが知りたいのでリリース後に採用された作品と自分の作品を比較してみないと分からないからそうしています」

「コンペ表作るとか発想しなかったな、俺、笑い」
何となく書いたものは聞き手にも何となくしか伝わらない

「うちの事務所の新人さんとかの添削をしている時の話ですが、読んでいて理解できない所って書いている本人も解っていない事が多い」
「例えば、ここってなんでこのフレーズにしたのかって聞くと何となくっていう人が多い、でも何となく書いたものは聞き手にも何となくしか伝わらないという事を意識してほしいですね」
「コンペ表でもそうなのですが何となく頑張るぞというのは伸びないって私は思っていて、しっかりと自分の作品を検証して何となくではなく、必然性で書かないと成長しないと思います」

「作品を書いた直後はその作品んに酔っている…確かにリリースされた作品と自分の作品を見比べると見えてくるね」

「違いが分かります。それと納得できますよね、こんなにいい詞書いたのに採用されなかった、悶々としているのならしっかりと答え合わせをした方がすっきりするし、次の課題につながると思います」

りんご流の情報収集の考え方

「でもさ、書いていると頭の中にあるものを吐き出すでしょう。当然出したら入れないといけない…その場合情報収集って大事だと思う。りんごさんは情報収集どうやっているの?」
「実はりんごさんからこの前もらった資料に面白い事が書かれていて、ニュースを例にするとニュースよりはそれについてコメントしている人たちの意見を検証するって、これは?」

「まずはご時世を知るって事が大事じゃないですか」
「歌って時勢に寄り添ったものがヒットするので時代に見合った内容って大事、だからその歌手の言葉や詞は時代に沿った内容で無ければそれは当然な事です」
「でも私は起きた事件に対して反応する人たちの意見をどんな事に反応しているのか?ここに焦点を当てている事が多い、同じニュースでも世代によって違うのが面白いです」

「反応するってニュース番組のコメンテーターの人たちの意見ではなく?」

「私はネットですね」

「出来事があってそれに対してのみんなの意見って事ね」

「そうです、本当にかなり深く見ます。いろんな意見があって本当に面白い。それが彼らの本音かもしれませんね。そして到底自分が考えないような事を意見している人がいたらその人のプロフィールに飛ぶ、そのプロフィールを探ってその人の年代や考え方などを検証したりしています」
共感って私は身近なところにあるって思っていて

「今、年代って言っていたけど作品が世の中に広まっていくためには共感って大事じゃないですか、共感って頭で考えても正解が出てこないですね」

「共感って私は身近なところにあるって思っていて、昔は歌手ってかなり高い位置に居たと思います」
「歌の歌詞もきれいなものであったり誰かが憧れるものであったり、当時はそこに共感があったと思います」

「そう、そう思う」

「でも今は歌い手さんとリスナーの距離感がすごく縮まってきていると思います」
「もっと具体的にいうと音楽の世界で、例えば、以前は作曲する為には楽器が出来ないとダメ。でも今は誰でも PCがあれば作曲できる時代になりましたね」
「また TikTok とか YouTube でもそうだけど、自分にカメラを向ければ自分がステージに上がれる時代になって来ている、自分もすぐそこに行けるという感じで、すごく距離感が縮まっていると思うんです」

「なるほど、確かにそう」

「だから共感も綺麗、憧れよりはより身近でドロっとしている物の方が共感得られるのではないかと思います、ただ世代によっては違うと思うけど、、」
「綺麗とか優等生じゃつまらない、昔はそれで通じたと思うけど、きれいなお化粧して綺麗なドレスを着て、でも自分はフリフリのドレスを着て町は歩けないけど…音楽ってそんな憧れの所にあった」
「あとあんまりまじめだとつまらない…例えば、信号が点滅している時にまじめな人は渡らないというところに正解はあると思う、でも好きな人に会いに行きたいから勇気をもってわたってしまう、いけないのですが人間らしさって表現できて共感が得られるのではないかって思います」

「そういえば 70 年代くらいの詞って物凄く不良で逆に優等生はいないよね、例えば吉永小百合さんは優等生だと思うけどそれ以外のアイドルって物凄くとげがあったし」

「時代によって共感加減って違うと思うし、時代を見るってすごく大事だし、もっといっちゃうなら今の子供たち、昭和の時代の私たちって頑張る頑張れってすごく良い姿に見えるけど、今の子供たちには頑張るっていっちゃいけない」
「頑張るよりも『逃げろ』と言った方が共感してもらえると思う」
「本当に時代ってすごいスピードで流れていてそこに自分が置いて行かれないようにする為にはリサーチはすごく大事だと思うんですよ」
「自分は 10 代には戻れないけどそこに寄り添うためにはどうしたら良いか?考えるとネットを使ってリサーチする事、そしてそこにコメントを落とす人たちの気持ちを探るのも大事ですよね」
言葉を削る作業ってパズルだと思う

「今回のリアルボイスの最初に言葉を削るって発言あったじゃないですか」

「はい」

「僕はそれがすごく大事だと思っていて、例えば 5W1H 的な事が書かれていればわかりやすいのだけど、歌詞って文字量の制限がある中でどうやって伝えたいものを削っていくのか?」
「文章削れば削っただけ言葉がレアになって核に近くなると勝手に思っているけど、りんごさんの場合は言葉を削る作業ってどうしているの?例えば書いて削って書いてみたいな作業しているの」

「私はパズル的に考えています。例えば、言葉を並べるじゃないですか?それを組み合わせて無駄をなくすって事は遊びとしてやりますね」

「パズルか」

「曲先で曲が来た場合文字数を採るじゃないですか、文字数が多い歌の場合はだらだらと書いてしまう時もあるけど、逆に文字数が少ない歌の場合、例えば演歌系の場合は少ない、そこにだらだらとは書けない」
「どうやって制限ある文字数に収める時は削って、削るけど言いたい事は伝わる詞にしていけば良いし、それが作詞家としての醍醐味だとすごく思います」

「醍醐味、そうだと思う」

「日記帳的なアプローチは誰でも書けるじゃないですか、例えば、妻の洋子と 25 年前に結婚した秋ぐらいに、なんか色んな事もあった、これからも一緒に居たいな」
「これがだらだらという感じ、これをワンフレーズでいえないのか?こんな遊びをするのです」

「面白そう、例えば?」

「結婚25 年だったら銀婚でいい、それで納まってしまう」
「それも妻という事であれば、銀婚という言葉が出た時点で妻という言葉はいらないですよね」
「洋子と銀婚、それが秋だったらノーベンバーって言葉を入れれば良いし、これからも…という事をいうとしたら銀から金に続くデコボコ夫婦道みたいな言い方をしても良いし、こんな言葉遊びが面白いって思うし、削るってこういう事かなって思います」

「昔、作詞を教えている時に一行ずつ詞、紙を切って行った、それを混ぜて色々とつないでみたりした。机に並べてどこから行くって、そうするとこれから行っても面白い、じゃ次は…みたいにやったことがあります」

「それこそパズルですよね」

「以前、松本一起さんのワークショップで一起さんが『トミーここに言葉を入れて』と振られた事がある」
「私が言葉を出した後に、なるほど、次はあなた、ここに言葉を入れて、みたいに参加者全員でワンフレーズずつ考えていく、考える人は当然前後を感じながら次の言葉を入れて行くのでつながりますよね、そして最後に一起さんがこうしようよって、締めくくる」
「それで詞が出来る。これってかなり衝撃的でした」

「ブロークン日本語でも通じる、私はあなたのこんなところが好きというよりも好きって言った方が通じる事もある」
「ゲーム感覚かな?」

「まさにそうですね」

「でも面白いね、コンペ表を作る、多分りんごさんの性格かな」

「そうそう、これって実は人に言ったことなかった」
「私って負けず嫌いの性格だからみんながこれをやって、そしたら私の打率が下がるかもしれないじゃないですか?それが嫌で、笑い」
「これってやってみると良いと思う、私はこんなにやっているって、私はこれを冷蔵庫に貼っていました、だって毎日みるから自分の頑張り、成績を常に目にするから」

「精神的に強くないとね、めげる人もいるよね」

「そうそう、私はポジティブな性格だから」
りんご流世渡り術「個性とわがまま」は違うって事かな

「勉強している時に相当打たれていたからね…」
「それと作家活動していて世渡りの仕方ってりんご流の作家心得ってあるの?」

「心得って言ったらカッコよく感じるけど、自分以外に色んな人が楽曲作りにかかわっているから、もちろん自分の個性ってものもあります」
「それは押し通さないって事かな、個性とわがままは絶対違うと思うので柔軟性をもってやらないといけないと思います」

「わがままと個性は違う、そうだよね」
作品直しの危険性、詞が壊れてしまう可能性が

「実際採用作でも修正って何回か入ったりする、それに対してこれは私が書いた良いフレーズなので譲れないっていうとダメです」
「修正も一回だけではなく、以前 10 回くらい修正が入ったこともあり修正していくたびに何を書いているのか自分でもわからなくなった事もありました」

「10回、、」

「なんで自分が書いたフレーズの良さってわかってくれないのだろうって思っていた時もあるけど、楽曲がリリースされた時に SNS で自分がなおしたところをリスナーさんがいいよねって言ってくれることもあり、あー直して良かった、やっぱり自分は客観的にはなれていなかったと思う事があって」
「それと修正するって事はクライアントさんがここをこうしてほしい…という要望でもあるのでそこは素直に耳を傾けないといけないとすごく思いました」

「それと以前のリアルボイスでもあったけどここは直すと詞が壊れてしまう、ここは直しても OK っていう見極めってあるじゃないですか?」
「10 回も直していたら…大変だ」

「大変です」
普段から代替え案を考える事は大切

「僕の経験からするとクライアントがこの詞なんか違うな…って思ったときに、作詞家さんに何処が違うって言わないといけない」
「でも分からない…そうするとね、核心から外れているチョット気になったところを指摘する事があるんです」

「ありますね」

「作家は当然、クライアントに言われたところを直してくるでしょ、直しを発注した者も解っていないのだから詞がグシャグシャになる」
「それで直さなくても良い所を直すと詞にパワーがなくなってくる、そうするとクライアントが何を言うかというと…」
「あの作家は分かっていない」って事になる
「解っていないのはあんたでしょ!と言いたいけどね」
「そうそう、佐藤ありすさんはそんな時きっぱりと言っていた」
「ここを直すと違う作品になってしまうのでもう一回書き直して良いですかってね」

「なるほど、私は代替え案と候補をいくつか出す事があります」

「あの当時はメールが無いので、ありすさんからファックスが来て、それをディレクターにファックスを入れる」
「そうすると向こうで確認して後日電話が、直してほしい箇所を言ってくる」
「それをメモして僕がアリスさんに電話する、でも作家マネージャーの作戦を使ってね」
「どうしたか、というと、伝える順番を考えた」
「多分、作家側でも代替え案を考えていると予想出来るところは先に伝えて、ここは核心の所、と思える所はあとで伝える、最初からそこを言っちゃうとそこで止まってしまうので…」
「テニオハ的な直し箇所から行くとありすさんもクライアントの考えている内容をイメージしやすくなる、それを理解してきたところで核心の話をすると以外にすんなりと行けたことがありました」

「作戦ですか、色々考えてやられたのですね」

「多分、ありすさんは誰にも見せないアンチョコみたいなものを持っていてそれを見ながら考えながら、答えを言ってくれているように感じました」
「さっき言った代替え案、例えば、オレンジという言葉があったらすでにいくつか代替え案を用意されていて「だったらそこはミカンで」みたいに即答してくれる」

「代替え案って必要だと思う」
「直しの時、一か所を直す事で前に書いていた所と矛盾が生じてくる時があるじゃないですか、そんな時は素直に言いますね」
「ここを変えるとあそこの部分がおかしくなるのであそこの部分はこっちに変えても良いですか?」とか
「矛盾が生じないためにここの部分はこれとあれの代替え案があるので良い方を選んでくれても良いです、」とか
「やっぱり作家側が全体像を見ないとだめですよね」
何となく書いた所は必ず指摘される

「作り手側が全体を見えていないとだめ、さっき話題が出ていた何となくそれを使いました…というと直しが入った時に大変ですよね」

「絶対、何となく書いた所って相手に見抜かれてしまう、伝わりますよ」
「私の経験上締め切りが迫ってきて、ここはちょっと埋めておこうって出すと必ずと言ってよいくらいに指摘される、本当に伝わっていると思います」

「ここって別の案ありませんか?」って
「本当に必ずと言っていいくらいに言われます」
「自信がない所は伝わっているので、なんで?と言われた時にはっきりと理由を言えないとダメですよ」
「これでどうだ!と言えるくらいに仕上げなければだめだと思う、仕上げ作業ってとっても大事だと思う」
作品作りの時間配分ってどうしているの

「それとね、作品を書く時の時間配分ってありますよね、作詞家さんってほとんど考える時間で最後にガーって書くって人が多いと思うけど」

「私もそう…半分くらいは考える時間、人から見たらすごく暇そうに見えるみたい」
「早く詞書かなくていいの?」って言われることも、、」
「車洗ってみたりとか買い物行ったりしているけど頭はずっと作詞の事考えている」
「私は車移動することが多いので車の中では課題曲を 100 回でも 200 回でも 300 回でも聞きます、アカペラで歌えるくらい、そうそう曲から引き出されることば ってあるので、はまりの良い言葉ってあるのでそれが出るまで、とにかく聞きます」

「300回も、、」

「でも実際書いている時間って短いです」
「残りの時間はブラッシュアップの時間、ここが大事でどれだけ自分の書いた作品を客観的にみられるのか、間違い探し、これって本当に大事です」
「そんな時は自分で嫌な人間になるの、上げ足とるくらい嫌な人間に、書いている時って自分の書いている世界観に酔っているから、他人に見てもらう、そうすると以外に書いている事が伝わっていない事が発見できます」
自分の書いた作品への責任を持とう

「身内の人に見えてもらっているの?」

「最近は見せないかな…私の場合は寝ます」
「起きたら嫌らしい人間になって自分の作品の間違い探しをする」
「あと自分の書いた作品に責任があると思う」
「私の場合初めてリリースが決まった時にうれしさよりも怖さが来ました」

「怖さが?」

「今まで不採用だったから次頑張ろうって思っていたけど、これって世界中の人がみる、なんか間違ってなかったっけ、漢字、てにをは、この英語、合っている?めっちゃ怖かった」

「そうかもしれないね」

「それを経験しているからなおさら間違い探しはします」
「英語は使った英語を検索かける、合っていれば誰かが使っているからこれはお薦めします、翻訳アプリとかサイトってありますね、あれば危ない」
「英語って最近ネイティブの英語話せる人が多いので使い方間違ったら危険です。本当に言葉に責任を持たないといけないと思います」
エンディング

「りんごさんあっという間にエンディングの時間になってしまいました」

「えー!もうそんな時間?」

「内容濃かった、、でも楽しかったですね」

「まだまだ話足りない、、笑い」

「本当ですね、でも話せなかったことは次回に」

「ですね、、笑い」

「そろそろ時間がきました、、また次回の作詞家リアルボイスで会いましょう」